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1. はじめに - そして、世界平和の鐘のこと
日本人の友達は私にこう言った。「日本を自転車で縦走するんだったら十分に気をつけて。道路はすごく交通量が多いし、山がたくさんあるし」。 親切な日本人の彼らは、自転車での旅を薦めないと言うことが多かった。多分60歳は年寄り過ぎるとも思っただろう。他の国々に比べて日本は訪れるサイクリスト達への情報提供があまりに少なすぎるのは確か。ガイドブックやガイジンの私が読める地図などはどこで入手できるのか?ということも含め友達が心配するのも無理はなかった。 一方、知られていないということは、同時に魅力でもある。どのみちガイドブックに従うような人間ではない。いつも地図を片手に自分自身の旅を組み立ててきた。そんなわけで、ネットサーフィンをしていた時にJapan Cycling Navigatorというサイトを見つけた。JCNとの出会いによって、自分の計画していた冒険旅行が実現可能と確信した。昭文社の英語版Road Atlas Japanを紹介してくれたのもJCNだった。
鐘を鋳造するために中川元市長は国連加盟国のうち65カ国(当時)を訪ね周り、鋳造に使っても良いコインを寄付してくれるよう回った。彼個人のミッションは日本が1945年8月に受けた原子爆弾による攻撃のような悲劇を決して他の国が経験することのないように、というものだった。 『世界平和の鐘』として知られ、ニューヨークの国連本部の中庭に置かれているその鐘は今日に至るまで、広島と長崎の「土」で支えられている。20個のレプリカが16カ国へ贈られたが、それらもまた国連加盟国のコインで鋳造されたものである。 レプリカの1つはオーストラリア・ニューサウスウェールズ州郊外、カウラにある。1990年、戦時におきた悲劇の影響を受けてオーストラリアと日本の間で結ばれた友好条約を記念して贈られたものである。ある年の10月、恒例のさくら祭に関する記事を書くためにカウラを訪れたのが平和の鐘との初めての出会いだ。(1944年8月5日、1100人以上の日本人兵士がカウラ捕虜収容所から逃亡した。200人以上の日本人がオーストラリア人の銃口に倒れ、日本人も4人のオーストラリア人兵士を殺害した。) 北海道の最北端、宗谷岬を見下ろす高台にもレプリカが一つ。2001年の1月、パートナーであり、日本人のハルコと共に、列車に乗って宗谷岬を旅した。日本最北の駅から27キロ離れた宗谷岬は、シベリアからたった43キロしか離れておらず、日中の温度はマイナス22度程度、海には流氷が漂っている。宗谷岬はまさに私好みの場所だった。 (この旅が「Slow Tracks to Wakkanai」として新聞記事となり、東京の世界平和の鐘協会の目に留まることになった。世界平和の鐘協会がニュージーランドに鐘を寄贈してくれることに同意してくれたら自転車で日本中を回りたいと伝えた) last modified:26, 06, 2008
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