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海外の自転車ツーリング促進活動について

海外の自転車事情に詳しい渡辺さんに、CourseGuide Part1の完成に際して寄稿して頂いた文章です。海外事情の紹介のみならず、今後のJCNの進む方向に大きな示唆を与えて頂けました。

渡辺さんからの寄稿

CourseGuide Part1完成に寄せて

JCNコースPart1完成おめでとうございます。今後は、それが多くの人々に利用していただけるように、いろいろな工夫を考えることが大切と思います。JCNコースPart1の利用を促進することで、今後の活動に一層張り合いがでてくるでしょうから。

日本の国情(国土の特徴、道路の事情、鉄道の事情、宿泊の事情、等々)に合わせ、JCNコースPart1の利用形態を提案して行きたいと思います。そのためには、まず、世界の先人の経験を知ることは、役立つのではないか、と考えます。そこで、これから、何回かに分けて、全国規模のサイクリング・コースを開発し活用を推進している世界のいくつかの経験をご紹介したいと思っておりますが、いかがでしょうか?

日本とイギリスのサイクリングロード比較

まず、日本のサイクリング道路の現状をおさらいして道と思います。日本には、大規模自転車道が129路線あります。全体計画は 4,277.2km という壮大なものです。都道府県ごとに2つないし3つはあります。昭和48年に建設が始まり、平成16年度は 3,480.5km (全体の 81.4%)まで整備する予定です。都道府県あたり、約90km位です。これら国土交通省の下で都道府県の一般道として作られる大規模自転車道以外に市レベルのサイクリング・ロードがあります。

これらの利用目的は、主に週末や休みの日に、近隣の人がサイクリングをすることのように思われます。中には、砂をかぶっていて使えないところもあります。通勤、通学、観光などといった多くの目的に使われている英国のナショナル・サイクル・ネットワークとは、大変大きな違いです。英国やヨーロッパの例を引き合いに出すからといって、私が欧米崇拝者であると思わないでいただきたい。それぞれ国情が違うわけですから、違いは当然です。もし外国の例に良さを見出したなら、日本をよくする機会である、日本では何が可能だろうかと鷹揚に構えて受けとめたいと思います。

因みに、英国の「全英サイクリング網」(と私が訳したものと言葉はNational Cycle Network)の建設に取り組んでいるサストラン(Sustrans=持続する交通)の活動がはじまったのは、1977年7月7日(7/7/77)とされていますから、日本の大規模自転車道の取り組みの方が早かったのです。しかし、始まりの遅かった英国では、2000年には、ブレア首相の巻頭の言葉を掲げた「Millennium Miles」という立派な(見ているだけでも楽しめる)本を出版し、生活と観光の両面で役立つ自転車道のネットワークができあがっています。今後さらに充実させようと努力が進んでいます。そして、その経験を基に、欧州各国が協力して、「全欧サイクリング網」を建設する取り組みへと発展しています。もっとも、それらはすべてが自転車専用のサイクリング道路だけで結ばれているわけではなく、既存のさまざまな道路を利用する部分もあります。さらに、サストランは、いくつかの組織とともに、それらの自転車網を統合しようとする活動(プロジェクト)も進めています。その名称は、「NICE」(Networks Integration for Cycling in Europe)です。

日本でも、孤立したサイクリング道路を統合する作業は、絶対にしなければなりませんね。その時には「NICE Japan」(Networks Integration for Cycling Environment in Japan)というような名称になるでしょうか?

NICEとJCN

さて、孤立したサイクリング道路を統合し利用の促進を図るためにNICEは、次のようなプロジェクト(活動計画)を立てています。

  1. プロジェクト立ち上げと基準の設定(2ヶ月)
  2. ルートマップの分析およびインフラの計画(2ヶ月)
  3. インフラの開発(8ヶ月)
  4. 電子的開発(6ヶ月)
  5. インターネット・サイクル・ガイドの検証(2ヶ月)
  6. インターネット・サイクル・ガイド・サービスの宣伝と運用(4ヶ月)
  7. 評価(2ヶ月)
  8. 配布とフィードバック(3ヶ月)
  9. 最終報告書
  10. コーディネーション

このNICEプロジェクトは、イギリスのブリストルおよびスペインのバルセロナの2都市で行われています。ブリストルは、サストランの本拠地です。サストラン、2自治体、インターネット用のシステム構築会社の4団体が参加し行われています。スペインは意外に思われるかも知れませんが、私が関与している別の分野(XBRL)で感じているのですが、ボランティア活動には熱心なお国柄です。

JCNは、すでにNICEの「インターネット・サイクル・ガイド」に相当することを行っているわけですので、外国人によるJCNルートPart1の利用を促進するためには、ツーリズムとして成り立つために必要な諸要素がケアされる必要があります。JCNは、ルート開発にとどまらず、情報、機材、ガイドの提供まで行って、ケアしています。まず、その事実を広く知ってもらう必要があります。愛知万博のライドは、そのよい機会と思います。なぜなら、ルートの多くの部分がオーバーラップしていると思われるからです。愛知万博のライドはJCNルートPart1を検証・評価することになり、そこでの経験はその後の活動に生かされることになるうでしょう。ですから、JCNルートPart1を利用する愛知万博のライドは、JCNとしても歓迎することを公式に表明し、「公式スポンサー」といった形で関与できれば、素晴らしいと思います。そうすれば、JCNの立場から主体的にメディアへアピールする機会とすることも可能ではないでしょうか。

このスレッドも大分長くなりました。ここらで、初に意図した「JCNコースPart1の利用形態を提案」させていただきたいと思います。これは、昨年まで日光で開催されていた(今年は草津)、クロスカントリー・スキーのイベントにヒントを得て考えました。

「NICE Japan Ride 2005」の提案書

趣旨:ニューヨークやハワイのホノルルは、観光のメッカであり、毎年日本から多くの旅行者が訪れている。両都市は、地元および海外から多くの人々が参加して行われる大きなサイクリング・イベントがあることで共通している。日本にはそれらに匹敵する、海外からの一般参加者を迎えた大きなサクリング・イベントはない。近年、欧米では、サイクリング・ルートの開発が大規模に行われ、老若男女が安全に自転車で長距離を旅行することが盛んとなり、これまで観光から取り残された町や村を巻き込んだ新しいツーリズムの形態が生まれている。今後、世界的にますます盛んになる傾向であり、わが国においても、適切な受け皿があれば、その流れを呼び込み、インバウンドツーリズム*として成長が期待される。一方、日本の現状を見てみると、大規模自転車道の開発が行なわれてきたものの十分とはいえず、道路、鉄道、バスなどの交通サービスがサイクリングを支援するかたちで統合したネットワークを形成することにより、欧州並みのサイクリング環境を実現することが課題であろう。「NICE Japan」とは、そのような課題の解決を意図してつけた「Networks Integration for Cycling Environment in Japan」の略称である。

企画:Japan Cycling Navigatorが担当。

主催:NICE Japan Ride Collaborative(NICE Japan Ride協力機構)
(参加団体)国際観光振興機構(JNTO)、航空会社、鉄道会社、バス会社、観光協会、新聞社、日本サイクリング協会など。

後援:大規模自転車道に関係する国および地方自治体(国土交通省道路局、東京都、千葉県、茨城県、栃木県)

ルート:JCNコースPart1を基本とする。

時期:第一回を2005年秋に行う。別名は「日光東京センチュリーライド」。

*参考:JNTOのウェブサイトより

JNTOの使命は、2010年に訪日外国人旅行者数を1000万人とする政府が掲げる目標の達成に向けて最大限の貢献をすることにありますが、インバウンドツーリズムの振興は、日本経済に及ぼす影響力のみにとどまらず、日本及び日本人に対する理解を深めてもらう上でも大変意義あることと自負しております。私どもは、常に事業パートナーである地方自治体、旅行・観光・運輸関連企業・団体の皆様の満足度重視を基本に据え、外国人訪日旅行の新しい流れを創り出すための事業を展開し、更には、国民の皆様にその存在意義を認められる組織となるよう、役職員一同、邁進する所存ですので、引き続きご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

NICE Japan Rideの方向性

今後JCNコースPart2,3,4?(東北、九州、北海道?)と開発が進めば、日本縦断の幹線ルートが一本通ることになります。国際的サイクリリスのための幹線ルートという意味では、EuroVeloの考えと似てますね(EuroVeloはイギリスもルートの一部とする、全欧で合計10数本の幹線ルート)。その精神は、JCNコースPart1が、「福岡〜東京」としていることに現れていますね。すなわち、韓国からフェリーで日本に入る場合を考えれば、「国際的サイクリストのための幹線ルート」の第一号が「東京〜福岡」ではなく、「福岡〜東京」であることは、ごく自然なこととして理解できます。京都や東京といった大都市部分は、ローカルのさまざまな活動(京都サイクルツーリングプロジェクトなど)がありますので、そこの部分はJCNとしてはブラックボクスでよいわけです。

「NICE Japan Ride」は、一回目がそれなりに成功すれば、既存のPart1の別の区間で、国際的に集客力のある、魅力的な部分をカバーするイベントとして継続的することができるしょう。また、新たなコースが発表されたら、その披露を兼ねて「NICE Japan Ride」を開催する。JCN本位で考えれば、「ホノルル・センチュリー・ライド」のように特定の都市や地方に固定する必要がなく、日本全体をテリトリーしてよいわけです。人気のあった「NICE Japan Ride」は、アンコールで何度も行うこともあるでしょう。「NICE Japan Ride」のブランドとしての価値が高まれば、招致合戦が起こるかも知れません。JCNが「NICE Japan Ride」の企画主体であり続けることで、財政基盤を築き、人材難を克服できるでしょう。

日光東京区間は、一気に一日で走ることは無理でしょう。体力に応じて選べる距離を設け、イベントは一日で終わらせてしまうのが楽ですが、何泊かして完走していただいてもよいでしょう。むしろ、途中に魅力的な町や村があればそこの旅館に泊まり、スローな旅をしていただくのが、ツーリズムの恩恵を広めるにはよいでしょう。当然ながら、各個人ごとの自由な計画にしたがって「NICE Japan Ride」の前後に日光見物、東京見物もあるでしょう。その際、自転車が邪魔ならば、旅のプランをうまくして、ヤマトさんの「サイクリングヤマト便」を利用して、空港まで送ることもできるでしょう。「NICE Japan Ride」を通して多くの関係者の協力を得ることで、それぞれの課題がクローズアップされ、解決へ向かうでしょう。

変革を伴う新しいことを起こすときには、「ニワトリが先か、卵が先か」という問題にぶち当たりますが(身近には「人材難」?)、インバウンドツーリズムの飛躍的な発展という国策=大儀名分に乗ることで、多くの関係者の協力を得ることができるでしょう。その意味で、JCNの活動は、世の中の賛同を得ることのできる、極めて時宜にかなった活動であると言えるでしょう。

サストランと「全英サイクリング網」と「EuroVelo」

日常生活(通勤・通学・買い物)でのサイクリング、週末のサイクリング、旅を行うための長距離サイクリング、これらすべてを考えた総合的なサイクリング環境があったら、どんなに素晴らしいことでしょうか。旅としてのサイクリングでは、(一般的には)思い出に残る美しい景色、歴史的に意義のある土地、美味しい飲みもの食べもののある街、いろいろな予算的選択ができて泊まれる宿が、サイクリング・ルート上に求められます。

英国のサストラン(Sutrans, Sustainable Transportationの略。)は、英国という国情を生かしてた「全英サイクリング網」(National Cycle Network」の開発において、冒頭に挙げたすべてを目指しています。自動車社会のために作られた道路建設以来の国家的道路建設事業という認識により、次の時代のための道路建設事業として、広い支持のもとに、行われています。単調なルートには、芸術家の参加により彫刻がしつらえられるなど、質の高い工夫がなされています。成熟した社会におけるボランティア活動というものの姿を見る思いです。

世界の他の地域にあるサストランの活動が情報共有にとどまっている(*)のと異なり、英国のサストランは、具体的な成果を挙げています。そして、その成果と経験は、英国を含む「全欧サイクリング網」である「EuroVelo」へと発展しています。このスレッドでは、これらの活動内容と成果を、次の3つの文献に基づいて、ご紹介させていただきたいと思います。

  1. THE OFFICIAL GUIDE TO THE National Cycle Network [全英サイクリング網の公式ガイド、A5版252頁]
  2. MilleniumMiles THE HISTORY OF HE NATIONAL CYCLE NETWORK[21世紀を記念した国家プロジェクトの一環として編集されたグラフィカルな記念本、変型版150頁]
  3. EuroVelo (the European cycle route network) Guidelines for Implementation [サイクリングルート開発の手引き、A4版47頁]

これから数回に分けて、サストランの歴史を、文献1(前回に挙げた3つの文献の最初のもの)から引用・翻訳して、ご紹介します。

***(参考訳)***

「全英サイクリング網」[National Cycle Network]は、英国のすべての主要都市が、自動車から隔離されたルート、交通量の少ない都市部の通りなどで結ばれた、総延長約1万6千キロ [1万マイル]に及ぶ、まさに全国に渡る広範なサイクリング網を形作るという、とてつもなく大きなビジョンです。それは数百におよぶ団体、地方自治体、電気ガス会社、地主、歴史的遺産・野生動物保護団体、鉄道会社、中央政府などが関わっています。

「持続できる交通」[Sustainable Transport]の略語である「サストラン」[Sustran]の起源は、大きな意味のある1977年7月7日(7/7/77)に遡ることができます。ブリストル市[Bristol]の環境保護団体が、当時の石油危機に象徴される環境への危機について何かしなければという思いに駆られて、「サイクルバッグ」[Cyclebag]というサイクリング団体を設立したのです。2年たたないうちに、その団体は、サイクリング・ルートを建設する計画を開始しました。その後、25年に渡って、大規模に拡大しました。

ブリストル市とバース[Bath]市の間の廃止された鉄道路線は、サイクリストと歩行者の用途へ転換された最初の鉄道路線となりました。ソルトフォード[Saltford]近くの5マイルの区間が、サストランという偉大な事業、すなわち熱心なボランティアによる、腰痛を起こすほどきつい作業によって実現したこのビジョンがはじまった場所です。始まりは5マイルの直線ルートというささやかなものでしたが、それはやがて、約800億円 [4億ポンド]以上のコストをかけて建設される、全英を覆う1万6千キロのネットワークとなるのです。

サストランを動機づけているものは、とてつもなく増え続ける交通量が引き起こす問題に対する解決策を見つけたいという切なる願いです。死亡、傷害、騒音、大気汚染、環境破壊、そして自転車がもたらす自由を決して知ることはないであろう肥満児たちという失われた世代を作り出しでることはすべて、過去25年あまりの交通量の増大に固有の問題なのです。予測がことごとく指し示していることは、事態が改善される前に、悪化するだろう、ということです。

問題の核心には、自動車との関係におけるサイクリストおよび歩行者の状況および安全があります。もっと寒い国スウェーデン、自動車の所有率がもっと高い国ドイツ、坂がはるかに多いスイスという順で、より多くの人々が自転車に乗っています。英国のサイクリストは、オランダやデンマークにおけるより8倍も事故で傷害を負いやすいのです。

1976年、デンマークは、欧州で子供の事故率が最悪でした。このことが、安全な自転車通学路の建設を地方自治体に義務付ける立法[Act of Parliament]へと導きました。デンマークは今サイクリストにとって、欧州で最も安全な国の一つとなっています。それと対照的に、英国は現在、欧州で最悪の子供の事故率を有しています。安全な通学路にも言及した交通法[Transport Bill]が導入されるには1998年まで待たなければなりませんでした。英国は、自転車路計画に関して30年を失ったのです。そしてサストランは今、サイクリングを公衆の場へ取り戻す戦略を追求しているのです。

ブリストル〜バース鉄道路線における成功に続いて、サストランは、1980年代初めに利用できた青年雇用機会プログラムおよびコミュニティー・プログラムなど、様々な雇用方式を十分に活用して、何百名という若者たちと一緒に、プリムス[Plymouth]およびグラスゴウ[Glasgow]など、他の都市で、さらに多くの道路を建設しました。ある時点でサストランは、給料をもらうただ一人の従業員ジョン・グリムショー氏と、それらの非常に役立つ雇用プログラムに基づいて働く800名から成るユニークなものでした。初期に若者たちを監督した多くの人々は、後に地域管理者としてサイクリング網の建設にあたりました。彼らを現場の経験がないと非難することは誰にもできません。

英国水路[British Waterways]との交渉は、1980年に始まりました。英国には3,200km(2,000マイル)の運河引き船道[canal towpath]があるものの、そのごく一部しか自転車通行できず、当時利用できる距離はきわめて少なかったのです。バースに近いケネット〜アヴォン [Kennet & Avon Canal]区間は、冬の数ヶ月は、泥で覆われて通行不能となりました。これがサストランの最初の引き船道プロジェクトとなったもので、作業が始まった時の運河堤の状態はそのような状態であったために、すべての新入りボランティアは、最初の仕事が、ダンプ・トラックを運転して運河にまっすぐ突っ込んで引き上げるというものでした。なぜか。ダンプ・トラックは、ぬかるんだ道から滑って水の中に落ちることがしょっちゅうだったので、抜け出すコツを習得しておくことは最も重要だったのです。通路は、バースからデーヴィズ[Devizes]に到るすべてが、5年(1984-88)の年月をかけて石で再構築されました。今では、ウォーキングとサイクリングの両方にとても人気があります。

サストランの道路建設の評判は年を追うごとに高まってゆきました。そして、モア[More]をはじめ、ダービー[Derby]、ヨーク[York]、リバプール[Liverpool]そしてサンダーランド[Sunderland]といった多くの都市が、サストランの手で道路を建設したのです。やがて、サストランは、魅力ある安全なサイクリング・ルートを作ることで何千というサイクリング旅行を生み出し、大勢の人々が自転車に乗ることを学ぶということを政府に示すために、それぞれの大都市に1つの質の高いルートを作ること意識するようになりました。

そういったサイクリング道路の建設には、リサイクル資材が大いに使われました。橋は鉄道のコンクリート枕木で作られました。彫刻は、古いJCBと木製枕木で作られました。浅瀬を埋め立てた道、道路に隣接して池を作る、単調な直線路でなくカーブさせる、大きな木を縫うようにルートを曲げるなど、魅力的な特色をもたせるために意図的な試みがなされました。自転車の旅を興味深い特色で満たすこの概念は、「旅する景観」(traveling landscape)として知られるようになりました。

道路建設の経験が15年を過ぎたころには、サストランは、一般に広く知られるようになり、サポーター・プログラムを立ち上げました。サポーターの数は、1993年に200名であったものが、2001年には4万名に達しています。1995年までには、サストランは、2005年までに1万キロ(6,500マイル)、2000年までに4,000キロ(2,500マイル)に及ぶ安全なサイクリング・ルートを全国に張り巡らせるという壮大かつ先見の明のある計画である「全英サイクリング網」(National Cycle Network)のために、「千年記念宝くじ基金」(Lottery for Millennium funds)に現実的な入札ができる立場となりました。(その後、このプロジェクトに対して全国の地方自治体から示された熱意のおかげで、1万キロ=6,500マイルは1万6,000キロ=10,000マイルに増えています)。

入札は成功し、サストランは87億円(4,350万ポンド)を与えられました。これは莫大な資金ですが、プロジェクトの第一段階の資金総額の20%にしかならず、残りの資金は、地方自治体、開発公社、欧州共同体、高速道路公社、自転車製造・販売業界およびサストラン・サポーターなど、さまざまな資金源から来るのです。

英国の道路は、欧州で最も混雑しており、状況は、とりわけ地方でますます悪化するでしょう。サストランが全英サイクリング網を作る狙いは、次の3つです。すなわち、初心者にとって魅力的であること、訪問者にとってよい思い出となること、そして日常の自転車利用者にとって役立つことです。

全英サイクリング網は、一般の人たちが再び自転車に乗り始めるのを奨励するように計画されています。自転車に乗らない人たちがサイクリングするようになるには、安全で、自動車が通らないルートを提供し、信頼を取り戻すべきであると考えます。そのような特別な通路は、理想的には、都市部の交通量の少ない道路と、1日に1千台以下(1分間に1台以下)の自動車しか通らない静かな道路を利用して田舎へ抜けるルート網とを接続することができます。

諸都市におけるサストランの仕事の大きな目標は、例えば、信号機のところに前進停止線[Advanced Stop Line]を設けるなど、自動車よりも自転者利用者にとって好ましい道路の割り当てをし直すことで、自転車利用者の地位を高めることです。都市部で速度制限をより低速にする運動は、自転車利用者や歩行者にとって、死者と負傷者の大幅な低下をもたらすでしょう。

「安全通学路プロジェクト」(The Safe Routes to Schools Project)は、圧倒的な子供たちが親の車より自転車を望んでいるにもかかわらず、自転車通学はたったの2%という英国の最も恥ずべき統計の一つを変えることを狙っています。デンマークは60%です。英国は、自転車通勤よりも自転車通学のほうがが少ないという、欧州では珍しい国の一つです。それを逆転させる恩恵は、子供たちの60%が自転車通学するイプスウィッチ[Ipswich]の学校では、紛れもなく明らかです。この学校は、生徒がはるかに健康であるという単純な理由で、他校との数々のスポーツ競技に勝ったのです。

全英サイクリング網の新たな部分を建設する際には、彫刻も作られるようになりました。それはコンセット[Consett]ではじまったのですが、ノーザン・アーツ[Northern Arts]の資金負担で、アンディー・ゴールドワージー[Andy Goldsworthy]が、道路に沿って、ランプトン・ワーム[Lampton Worm]と呼ばれる長い彫刻を作りました。木を彫ったもの、石を削ったもの、鉄を溶接したもの、あるいは煉瓦で構築したものなど、国のいたるところに、彫刻が現れはじめました。スコットランド・ロイヤル銀行[The Royal Bank of Scotland]は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの彫刻家が設計した1,000本もの里程標識を気前よく寄付してくれました。

地方の経済は、サストランの長距離ルートの作成から、大きな恩恵を受けてきました。それらの最初のものは、C2C (Sea to Seaの略、カンブリアン海岸から北海まで)でした。それは、自動車の通らない道と一般の道路の部分が混在するという特色のさきがけとなりました。開通した最初の一年で、1万人がサイクリングを行い、2億円(100万ポンド)が、沿道の簡易宿泊施設[bed & breakfast]、ユースホステル、パブ、カフェ、商店で消費されました。1995年には、C2Cは、「英国航空明日の観光旅行賞」[“British Airways Tourism for Tomorrow” awards]の受賞者(Global Winner)となりました。それ以来他の多くの長距離ルートが開設され、地図が作られました。それにより、多くの人々は生涯で初めて休暇をサイクリングで過ごすというアイデアに惹かれ、また企業家は新たなビジネスの機会として恩恵に浴することとなりました。

サストランは、英国だけに目を向けてきたわけではありません。ヨーロッパのサイクル・ルート網であるEuroVeloを積極的に推進してきました。それは、ヨーロッパ中の国々を結ぶことを目指しています。最初に開設されたヨーロッパ・ルートは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、オランダそしてイングランドとスコットランドの東海岸を通る「北海サイクル・ルート」(North Sea Cycle Route)です。

(*)「世界の他の地域にあるサストランの活動が情報共有にとどまっている」
下記付録1と2を参照

付録1 アジア太平洋地域のサストラン

odiによる紹介より

「アジア太平洋地域のためのサストラン行動網」(SUSTRAN, Sustainable Transport Action Network for Asia and the Pacific)は、情報共有網です。それは、アジア太平洋地域に焦点を合わせて、人間中心の公平且つ持続する交通システムを推進しています。サストランは、1995年に始まり、マレーシア、インド、インドネシア、パキスタン、フィリピン、韓国、日本、オーストラリア、シンガポール、スリランカ、タイに活動的な参加者がいます。それはまた、北米、欧州、中南米、アフリカにも提携組織があります。事務局は、インドネシアのジャカルタにある独立研究機関であるペランギ(Pelangi)が担当しています。この組織の活動は、情報共有網という役割を超えて、国際機関および地域において、交通政策改善の提言を行うように拡大しています。サストランは、持続できる人間中心の都市交通システムへ向かう上で、情報は10あるステップの一つとして重要であると考えています。サストランは、人々に影響を与える意思決定に影響を与えるうえで、人々は情報が必要である、と主張しています。そのウェブサイトを通して、サストランの出版物ならびに関連する話題における著作物の一覧表を知ることができます。サストランは、電子版ニュースレターおよび電子的討論の場を持っています。それらの情報源は、都市交通に重点を置き、持続できる交通システムの問題を取り上げています。そのウェブサイトは、各国において持続できる交通システムへの認識を高めることに関心のある人々を対象にしています。

付録2 日本のサストラン

日本の「持続可能な交通を考える市民ネットワーク」は「SUSTRAN Japan」と称し、次のように説明されています。

持続可能な交通について考える個人、団体の全国的なネットワークです。政策提言、情報提供など各ワーキンググループごとに活動を展開します。

メンバーは「ヤフーグループ」を利用して、討論や情報の共有を行っています。話題は多岐にわたりますが、本家英国のサストランにおけるサイクリング網の建設のようなことは行われていません。2000年7月にはじまったメーリングリスト上の投稿数の推移は次のようです。

  • 2000年(7月〜12月) 265
  • 2001年(1月〜12月) 172
  • 2002年(1月〜12月) 145
  • 2003年(1月〜12月) 28
  • 2004年(1月〜11月)17

これからみると、活動は、発足した2000年がピークでした。その年には世界的な運動の一環として日本においても「カーフリーデー」が行われています。その後活動は減退し、最近では活動停止に近い状態になっています。

last modified:20, 11, 2005